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最高裁判所大法廷 昭和53年(ク)77号 決定 1980年11月05日

抗告人

関光汽船株式会社

右代表者

入谷拓次郎

右代理人

岡田一三

土田耕司

相手方

株式会社丁造丸

右代表者

山本高利

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

抗告代理人岡田一三、同土田耕司の抗告理由について

所論は、原決定は船舶の所有者等の責任の制限に関する法律第二章の規定が憲法二九条に違反することを看過した違法がある、というのである。

本法第二章の規定が航海に関して生じた一定の債権について特に船舶所有者等の責任を制限するものであることは、所論のとおりである。しかしながら、(1) 船舶所有者の責任を制限する制度は、海運業が多額の資本を投下した船舶の運航という危険性の大きい企業であることにかんがみ、その適正な運営と発展のために必要であるとして、その態様はともかく、古くから各国において採用されてきたものである。(2) 右第二章の規定は「海上航行船舶の所有者の責任の制限に関する国際条約」(昭和五一年条約第五号)の規定に即して定められたものであり、国際的性格の強い海運業について、わが国だけが船舶所有者責任制限の制度を採用しないことは、実際上困難である。(3) わが国においても従前は商法に委付の制度が定められていたのであるが、本法は、これをいわゆる金額責任主義、すなわち船舶所有者の責任を、事故ごとに、債権を発生させた船舶の積量トン数に一定の金額を乗じて得た額に制限することができる制度に改めたものであり、しかも、損害が船舶所有者自身の故意又は過失によつて発生した場合の債権、内航船による一定の人の損害に基づく債権、海難救助又は共同海損の分担に基づく債権等は制限債権とせず、また、本法施行に伴つて改正された商法六九〇条は、民法所定の使用者責任を加重し、船舶所有者にある程度の無過失責任を認めている。以上の諸点を参酌してかれこれ勘案すると、本法第二章の規定は、公共の福祉に適合する定めとして是認することができ、憲法二九条一項、二項に違反するものということはできない。

右と同旨の原決定の判断は正当であり、論旨は採用することができない。

よつて、本件抗告を棄却し、抗告費用は抗告人の負担とすることとし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(服部髙顯 団藤重光 環昌一 栗本一夫 藤﨑萬里 本山亨 中村治朗 横井大三 木下忠良 塚本重頼 鹽野宜慶 伊藤正己 宮崎梧一 寺田治郎 谷口正孝)

抗告代理人岡田一三、同土田耕司の抗告理由

一、本件責任制限開始申立は次の理由で失当である。

即ち、船舶の所有者等の責任に関する法律(以下単に本法とする)の第二章、実体法の部分は、憲法二九条の財産権の保障に違反するにも拘らず、原審、及び第一審はこの点を看過した違法がある。

二、本法の成立経緯は、原決定の通りである。

本法の特色は、船舶所有者等の不法行為に基づく損害賠償請求権、債務不履行、担保責任による損害賠償請求権等、一括して自己の責任を制限し得るものである。

本法による制限責任開始手続に於いて、制限債権者は本来なら一〇〇パーセントの弁済をうける地位にありながら、その債権の一部の権利行使を否定され(本法三三条)その反面船舶所有者等に免責を与えるもので、その点で制限債権者の債権を侵害する面を有することは、原決定も認めるところである。

三、然るに、原決定は以下の理由で憲法に反しないとする。

その説くところは納得しうるものではない。

(一) 第一に商法六九〇条は民法所定の使用者責任の原則を変更し、ある程度の無過失責任を船主に認め責任要件が加重されるからその反面有限責任を船主等に認めるべきとする。

しかし、責任要件の加重があるとしてもそのことが直ちに本法のような総体的有限責任までを認める理由にならない。

原決定はあたかも本法施行に備えて船舶所有者等の責任要件を加重したごとく論じるが、改正前の商法第六九〇条も民法の使用者責任のような船主の船長及び船員に対する選任及び監督につき相当の注意をなすことの証明による免責を認めるものでなかつたことは明らかである。

商法六九〇条が民法所定の使用者の責任の原則をある程度無過失責任に変更しているにしても、それは国際海上物品運送法第一三条のような個別的な有限責任で十分であり、敢えてそれ以上の本法の如き総体的有限責任を認める理由にならないことは明らかである。

(二) 第二に、原決定は海運企業は海上の運送機関として低廉な運賃で大量の人員や物品を運送すべき公共性を有するとし、その適正な運営と総合的な発展を図ることは公共の福祉を増進する上に欠くことができないと断ずる。

確かに船主に対し総体的有限責任制度を与えることは当該船主の企業維持に役立つことは明らかである。しかし、それは単に既存、特定の海運企業を保護するにすぎず、国民全体が低廉な費用による大量輸送手段を利用し得る利益と結びつくものではない。

原決定のいう「公共の福祉」が単に既存企業の保護を意味するなら、その説くところが了解し得るが、それが「公共の福祉」に含まれないことは明らかであり、既存企業の保護が即ち国民全体の利益ということに結びつかない以上、この点も理由がない。

(三) 次に、原決定は船主責任制限制度はその方法、態様に於いて差があるも、古くから各国により是認されてきたものであり、我国にも本法制定前、商法に総体的有限責任の一種である委付制度を認めてきたものであり廃止することは事実上困難であることを理由とする。しかし、ある制度が制度として認められてきたからではなく、それに相応な合理性があるから認められるのであり、「今までこうしてきたから、これからもこうする」では、憲法など全く必要としない。この点は全くへ理屈にもならない議論であり、且つ原決定は例え本法による総体的有限責任を廃止しても、船主が一個の船舶毎に会社を設立して責任制限の実を挙げるであろうと、真に本法の責任制限制度の合理性を探求することなく「どうせ同じことだからだめだ」という安易な判断しかせず、憲法の番人としての裁判所の権威を自ら放棄しているものである。

(四) 最後に、原決定は本法は従来の委付制度を改正し、金額責任主義による責任制度を採用したこと、且つ非制限債権をも規定したこと、その責任限度額は一九五七年「海上航行船舶の所有者の責任の制限に関する国際条約三条」の規定をうけ、我国に於ける過去の実績等をも勘案して定められており、不当に低額なものといえないと論ずる。

しかし、本件の如く現在知れている制限債権者の債権総額金二一三、九三九、〇〇〇円に対し僅かほぼ三パーセントにすぎない金六、九〇〇、〇〇〇円の責任額でも、なぜ不当に低額といえないのか不可解である。確かに本法は内航船に関する人の損害に基づく債権等を非制限債権とする配慮を含むものであるが、本件の如く小型船舶の過失により大型船舶を沈没せしめた場合の如く、大規模な損害が発生した場合、強度の債権侵害が生ずることを無視した安易な立法であり、それを制限債権者の犠牲の上に目をつむることは許されないといわざるを得ない。

四、以上、原決定を熟読しても、本法を合憲とする理由は納得ができないものである。最高裁判所の御見解を賜りたく、本特別抗告に及んだ次第であります。

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